「おとなになっても、みえるもの」 佐藤千晴

 

保育園から家までの帰り道を2人並んで歩いていたある日、息子が夜空を見上げて言った。「おほしさまってね、こう、ぴーんと、とんがってるんだよ。ほら。
おとなになると、みえなくなるんだ」
「そうかもしれないねえ」

韓氏意拳の講習に出た時の自分の反応は「?」か「!」マークのどちらか(または「!?」)にほぼ限定される。
「これでいいのかなあ?」「なんでですか?」「え、知らなかった!」「ほんとだ!」などなど。
昨年の連休に実施された韓先生の来日講習会で一番記憶に残っているのは、先生がおっしゃった「人間は頭の後ろに目がついていますか?必要ないからついてないのです。前を見ていればいいのです」という言葉だ。
私はその時も「そうか!」と感激し、家に帰ってから興奮して息子に報告した「ママの先生がさ、こんなことを言ってたんだよ。すごくない!?」と。
いつもは息子の「ねえ、すごくない!?」を聞いているばかりだけど。

先日も講習の帰り道、その日の先生の講義を振り返りながら「あ~、衝撃だったなあ・・・。今まで思ってみたことさえなかったなあ。ちょっと明日からやってみよっと」と振り返りながらふと、「なんだかこどもみたいだな」と思った。

どうしてこの動きになるのか。なぜ相手に反応するのでなく、自分に注目するのか。
自分が当然だと思っていたことが覆された時の驚き。何かを新しく発見した時のうれしさ。純粋に新しく知ったことを喜べること。講習会でじっくり自分のからだに向き合った後に「このまま、今日掴んだようなこの感じ、この宝物を明日の朝まで取っておけたらいいのに!」と願いたくなる気持ち。それを全てひっくるめて「楽しい」と感じているのかも。知ったかぶりする余地もない場所で。

このまま韓氏意拳を練習し続けていたら、ママでも、ほしの「ぴーん」が見えてくる時がくるかもね。
今朝も形体訓練に励む私を、息子は「そのたいそう、なに?」と眺めている。