「その後の韓氏意拳」 米田忠孝

 

前回の論作文投稿から一年が経ちました。
いろいろな教練の方、いろいろな場所で講習しとても充実しております。
まだ会ったことのない教練の方もいますので機会があれば教えていただきたいなと思っております。

 

さてこの一年どうだったか!
意拳というと状態入る、危機感、緊張感、切迫感、外的ストレスを起爆剤にして状態を高めていく事だと思います。この状態で站椿を行っていくのですが、これが一番の基礎になっていると思います。

 

言葉で書くとこのような感じなのでしょうか、だけどこれがとても難しいです。
いまだに「OK!OK!」と言われても何がOKなのか頭の中に????マークが点灯します。
もしかすると、こういう方がほかにも結構いるのではないでしょうか、みなさんいかがでしょうか?

 

「OK!OK!」と声をかけられるのは、とてもうれしく思ってしまうのですが、そこの何を味わえばいいのか、あまり実感がないというか、「なんとなくこんな感じか」みたいに無理じに納得して、また真似てみる、なぞってみる、ということがあるような気がします。
今までの育ってきた環境、仕事柄なのか、また再現しようとしてしまう、やっぱり、分かっていながらも社会性という物にどっぷり浸かってしまっている事にも今でも気づかされます。

 

私は、もう40年ぐらいサッカーやっているのですが、これだけの年数をやっていて、ほんの何度かなのですが、すごく気持ちよく、すごく心地よく動けた事がありました、その感じは、頭で理解できなく言葉でもあまり表現しきれない経験でした。この時の思いを、もう一度味わいたくてサッカーを続けていたと思います。40年以上、一つの思い追い求めてサッカーをしていたけど、そこには悔しい思いや、情けない思いもありましたが、楽しい思いもたくさんあります、その枠にいても不自由があまりなかった。
 

今、意拳をしてみて思うのですが「同じ事は2度出来ないというようなことを言っていたように思うのですが(確か)何かを「繰り返す」ような行為。サッカーをしていた時に「何度か味わった感じ」はちょこちょこ身体が頭に教えてくれていたのだと思っています、
「その枠の中もいいけど、他にもいっぱいあるよ」、あまり耳をかさない、話を聞かない自分に
「あたま君の言うとおりに僕は、動いてるけど、僕が本気を出したらこんな経験しちゃうんだぞ
早くいろいろな考えを捨てなさい」(ちょっとえらそうですが)

 

すべてを捨てることは、今は出来ないような気もしますが、「欲」みたいな物はこれからもなるべく整理整頓していきたいと、これから先は身体の整理整頓を心がけようかと、すぐ散らかりそうですけどなるべくきれいに出来るようにしていきたいと思っております。
 

 

先日、自分のホームグランドと勝手に思っている Kスタジオ 駒井教練の所で講習を受けました「站椿5点盛り」とても熱い・熱い、熱盛りです!状態を少し近くに感じられたように思います教練の方々は、この感じで動いているのかとびっくりです!
「先生この感じで動いているんですか?」
「そうだよ!」と普通に言っていました。
意拳は疲れる!それは他の教練の方も言っていたように思います。まだまだ気長に続けたいと思います。
                          2017/2/1(締切オーバーですが)