「とにかく楽しい韓氏意拳」
 
 私が初めて韓氏意拳に触れたのは2012年の韓競辰先生の福岡での来日講習会でした。そもそも、韓氏意拳の名前は甲野善紀先生がtwitterで

来日講習会について告知されていたのを見て、初めて知りました。
「甲野先生がすごいという韓氏意拳は、きっとすごいのだろう。」
という、軽い動機で参加しました。

 

講習会では、韓氏意拳の核心である「状態」について説明され、

また韓先生に直接手を取っていただき、

足元から崩されるような不思議な動きに触れることができ、

それまで味わったことのない感触に驚きました。

講習会が終わった後、とても大切なことを教わったような気がしたことを覚えています。
その後、福岡にも分館ができたことから、継続的に受講できるようになり、

あっという間に3年が経過しました。

 

この3年間でわかったことは、

いままで教わったやり方・価値観とは全く異なる世界がある、ということです。

韓氏意拳の稽古では「こうやろう」、「ああしよう」とすると、必ず失敗します。

それまでの方法や成功例に頼らず、

そのときに身体から発生する動きに従えるよう、稽古を積んでいきます。

発生に従って動くと、力感とは異なる、身体を伴ったような充実感があります。

ただ、先生方に手を取ってもらうと、「こうやろう」、「ああしよう」として

失敗してしまいます。

手を振ったり挙げたりという普段できている動きであることはわかっていても、

そのやり方を考えてしまう習慣から脱け出すのは難しいです。
できない、ということはまだわかっていないということだと思います。

 

では、韓氏意拳ができる、わかる、ということはどういうことなのでしょうか?

ここが韓氏意拳でわからないところです。

韓氏意拳では具体的な拳の打ち方を教えることはないため、

自分が拳を打つ姿を想像することができません。

ゴールもわからず、ただ歩き続けているような感じです。

時々、途方に暮れる気分になります。
また、動きの発生は感覚的にしか捉えることができないため、

発生を捉えて動いているのか、思い込みや習慣で動いているのか、わからなくなります。

 

しかし、

わからない、というところが韓氏意拳を学んでいて一番面白いところでもあります。

理屈はわからないけれど身体が動き、大きな影響を与える、

という経験がさらに興味深くさせます。

どこに向かっているのかはわかりませんが、歩を進めるたびに感じる変化、

見えてくる新しい身体はとてもワクワクします。
先生方が提示してくださる感覚・身体観はどれも面白いです。

 

特に、福岡は各地から先生をお招きしているため、

さまざまな身体観を経験でき、未知の身体を楽しむことができます。

しかし、これからは先生方の感覚・身体観に沿ったものではない、

そのときに発生している自分の変化を自分で見つけることができるようになりたいです。

それが韓氏意拳の学びを深めることにつながると思います。

「自分一人で稽古を楽しめるようになる」ことが今後のテーマです。
韓氏意拳ができる、わかる、ということはどういうことか。

この答を得ることはできないと思います。

それでも、韓氏意拳を学ぶことは楽しく、さらに学んでいきたいという想いは尽きません。これからも韓氏意拳を通じて未知の身体を楽しんでいきたいと思います。

 

福岡分館 松井 仁志