韓氏意拳という名のミステリーツアー

 

 

韓氏意拳との出会い

 

他 の多くの方もそうであるように、

私も武術研究家の甲野善紀先生を通じて韓氏意拳を知り、韓氏意拳の門を叩いた一人です。2010年の12月、広島は福山で のことでした。

韓氏意拳の歴史や性質も何にも知らず、ただ甲野先生の

「私が足元にも及ばない人がいる」

「あれほど早く動く人を見たことがない」という言葉 を聞き、

それは生きているうちに一度は見ておかねばなるまい。

などという野次馬根性も手伝っていましたが、それよりも私が小学生の時に

「あそこに行けばミ ヤマクワガタが獲れるらしい」と聞きつけ、

自転車で30分ほど離れた河原に広がる手付かずの雑木林に

足を踏み入れた時に味わった私の体をいっぱいに満たしていた期待と好奇心と、

それに勝るくらいの恐怖のような畏れのようなものとが入り混じった、

そのような心持ちで光岡先生の講習会を訪れたことを忘れもしま せん。

 

甲野善紀先 生への憧れはその数年前からずっと抱いておりましたが、

私のような分際の者は踏み入れてはいけない領域だと、どこか神聖で崇高なものを感じ、

先生の著書さ え手にすることができなかったほどなのです。

今思えばその時の私の心の奥の奥には、

それまでの自分が培ってきたものが足元から崩れ去ってしまいそうな保身 的な怯えがあり、

都合のいい言い訳を自分に言い聞かせてその一歩を踏み出せずにいました。

そのような時に本屋さんで見つけたのが

甲野先生の愛弟子・高橋佳 三先生の『古武術for sports』でした。

そこから私の人生は新たなページが開かれ、韓氏意拳にたどり着くことになりました。

 

 

天動説から地動説!?

 

 初めて訪れた光岡先生の講習会はまさにコペルニクス的転回でした。

「あなたの頭の中にあることは所詮どこかの誰かが唱えた価値観。

だけどあなたのカラダは紛れもなく自然が創り出した産物。どっちを信じる?」

文字通り天地がひっくりかえった感じを覚えました。

 

意 味、理由、善悪、正誤などを当然のごとく考える基準としていること、

そしてそれらにどう自分を沿わせていくのかということを私たちは知らず知らずのうち に、

何のためらいもなく信じるようになってきていました。

まさか、そこに「待った」をかけられるとは!

今思えばそう言われてみればそうなのですが、

光岡先 生のその言葉で私はつむっていた方が

ある面では都合が良かった目を見開くことになりました。

 

 

それから5年・・・

 

 あのとき見開いたはずの私の目は今も鮮やかに私自身を観ているのだろうか?

今でも不安になります。

「今、みえているのは本当に観えているものなのか?

それとも見たいものなのか?

いやいや、ただ観えているような気分でいたいだけなのかもしれない」と。

 

ある教練の先生がおっしゃった。「迷う必要はない。ただちゃんと悩める道がある」

 

また、他の先生がこうおっしゃった。「えっ?本当に?と何度も問うて下さい」

 

韓氏意拳は難解だと言われる。本当に難解であることは間違いないと思う。

しかし、それと同時に、ただ当たり前なだけかもしれぬとも思う

(学校や人間社会では その当たり前ではない当たり前が、

公然と横たわっているからたちが悪いのだが)。

理解しようと思えば難しいからそれは難解になる。

だが、理解どうこう抜き でいられると「嗚呼、そういうものなのか」とう思えてくる。

春になると桜が咲くように、何の疑問もなく自分の体内に広がり、

変り続ける風景を観ることがで きる。まだごくたまにしかないが。

 

大抵のことは5年やったらそれなりの成果、到達感があるものだが、

こと韓氏意拳にかんして言えば、悩みが深くなる。

到達感どころか、どんどん遠のいている気がする。

その感じがまた嫌いじゃないのが厄介だ。

 

 

そしてこれから

 

 私 はこの世に生まれてきてしまった。

生まれてきてしまった以上は死ぬまで生き続けねばならない。

それと同様に韓氏意拳という世界に足を踏み入れてしまった以 上は

その道を歩み続けねばならない。そう感じている。

その先に何があるのかは知る由もないが、

ただそう感じている自分がここにいるのだから仕方がない。

 

目 的や目標を持てと世の人々は言う。

だが、今の私が感じている目指すところより遥かかなたにまで誘ってくれ得る何かが

韓氏意拳にあるような気がする。

ひょっ としたら全くもって違うところにまで連れて行かれるかもしれない。

それはそれで楽しいではないか。

 

私はこの韓氏意拳という名のミステリーツアーの乗客の一 人として

途中で我が家へ帰るつもりは毛頭ない。

妻をはじめ、すでに何人かの人々をこのミステリーツアーに巻き込んでいる。

今はまだツアーの参加者として一 緒に

参加してくれる人を誘っているに過ぎない立場ではあるが、

いつの日かこのミステリーツアーのツアーガイドとして

他の人たちをご案内する時がくるかもし れない。

行き先の知らないツアーガイドもそれはそれでおもしろいではないか。

 

だって先人たちがどこまで行ったのかは今の私には想像だにできないのだから。

 

 

広島分館 広島市世話役 安田政之